患者さんを診て生じた疑問を研究に。そしてその結果を臨床にフィードバックする。臨床と研究のループづくりに重点を置き、医療の進歩に貢献する先生の半生

サイトへ公開: 2019年12月20日 (金)
医師を目指した理由から現在の目標まで、これまでの軌跡と、今後への思いについて慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授の福永興壱先生にお伺いしています。
慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授 福永 興壱 先生

慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授 福永 興壱 先生

慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部研修医(内科学教室)、東京大学大学院生化学分子細胞生物学講座研究員、慶應義塾大学医学部専修医(内科学教室)、独立行政法人国立病院機構南横浜病院医員として出向、米国ハーバード大学医学部Brigham Women’s Hospital留学、埼玉社会保険病院(現:埼玉メディカルセンター)内科医長として出向、慶應義塾大学医学部呼吸器内科睡眠医学研究寄附講座 特別研究助教、講師、准教授を経て2019年に慶應義塾大学医学部呼吸器内科 教授。慶應義塾大学病院 病院長補佐兼任。

2019年6月、福永興壱先生は慶應義塾大学医学部の呼吸器内科教授に就任されました。小さいころは「地元のかかりつけ医」になることを目指し医学部に入学しましたが、多くの尊敬できる人々との出会いや、先輩医師からの言葉によって進むべき方向性が変わってきました。今回のリアルストーリーでは、福永先生のこれまでの軌跡と今後への思いを語っていただきました。

「地元のかかりつけ医」が夢

慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授 福永 興壱 先生 -02

福永先生のご実家は日頃から地元の皆さんが相談や雑談に集まるような家庭でした。そういった環境の中で福永先生は「自分も地元の人たちにとって何か役に立てる存在になりたい」と小学生のころから思うようになったそうです。さらに両親や某大学病院の看護師長をしていた親戚から医師になってみてはどうかという助言もあり、自転車に乗りながら各家庭を往診して回るような「地元のかかりつけ医」を目指して勉強に励みます。その結果大学に医学部のある慶應義塾高等学校に入学、慶應義塾大学医学部へと進みます。

「疾患の多様さ」「先輩医師の姿」から呼吸器内科を選択

学生時代は剣道部に所属し医学部内外に交友関係を広め、あっという間に6年間が過ぎていきます。医学部を卒業するころになり、先生は今一度初心に戻り全身を診ることができる内科に進むことを決めます。そして2年間の内科研修(今でいう初期研修)が終わり、その後さらに内科全般を学ぶために2年間慶應の関連施設の病院に出張することを考えていました。しかし、同時期に呼吸器内科の先生たちから大学院入学を熱心に勧められます。それまで研究というものは「一部の医師が行う特別なこと」であり「自分とは無縁なこと」と考えていたため、大学院進学などはまったく考えていなかったといいます。しかし医師として働く長い一生のうちに、その“特別なこと”に触れることもなく過ごしてしまうことは何か大事な機会を失ってしまうのではないか、そして研究というまた違ったフィールドに新たな世界の広がりがあるのではないか、という思いが湧いてきます。また、呼吸器内科は気管支喘息などの炎症性疾患から肺がんまで幅広い疾患をカバーし、急性期から慢性期までの疾患を扱う診療科であり「当時自分の進む方向性が定められないからこそ、幅広い疾患に触れられる呼吸器内科にしようと決めました」と福永先生は振り返ります。さらに、最終的に大学院進学の決断をした大きな理由は呼吸器内科の先輩医師たちでした。当時十分とはいえない医局員の人数にも関わらず、呼吸器内科の患者さんのために志高く奮闘するその姿に感銘を覚え、一生付き合っていきたいと思える先輩たちのもとで少しでも長く同じ時間を過ごしたいと思ったことが、呼吸器内科大学院に進む大きな決め手となったのです。

慶應から東大へ移り研究をスタート

一方で当時の呼吸器内科は研究環境が必ずしも整っておらず、大学院とはいえほとんどの時間を臨床に費やす日々を過ごします。そのような折、浅野浩一郎先生(現:東海大学医学部内科学系呼吸器内科教授)が米国ハーバード大学留学から帰国され、新たに喘息研究班を立ち上げます。そして学生時代の剣道部の先輩であり同じ呼吸器内科に入局された小熊剛先生(現:東海大学医学部内科学系呼吸器内科准教授)から「一緒に浅野先生の研究班に入らないか」と声がかかり、福永先生の研究生活が本格的に始まりました。さらに浅野先生は、福永先生を脂質研究に関して国内外問わずトップクラスといわれた東京大学生化学・分子生物学教授の清水孝雄先生のもとに基礎研究の本質を学ばせるために預けます。「研究の右も左もわからないような自分に対して、東大の先生方はみんな親切でした」と福永先生。ここでも多くのことを学びながら、ヒト血小板活性化因子(PAF)受容体の遺伝子変異が細胞にもたらす影響を明らかにします(J. Biol. Chem. 2001)。この研究成果を通じて先生は脂質メディエーターの研究領域へ足を踏み入れていきます。

世界中の誰も知らないことを最初に知ることができることが研究の醍醐味

東大において研究の指導者でもあった横溝岳彦先生(現:順天堂大学医学部生化学第一講座教授)が教えてくださった今なお鮮明に覚えている言葉があるそうです。「大切な実験結果を世界で最初に知るのは手を動かしている研究者本人であり、その喜びを知ってしまったら研究は止められない」。東大の地下の測定室にこもり、なかなかうまく行かない研究に焦りを感じていたときに、最後と思いトライした実験が期待通りのデータとなって目の前に飛び込んできたとき、初めてその意味がわかったといいます。「世界中の誰も知らないことを自分だけが知っている」と思うと、それまでの苦労が一気に吹き飛ぶほどに喜びが湧き上がったそうです。「研究とはこれほど面白いものだったのか」。先生はそのことを強く実感したそうです。

慶應義塾大学医学部 呼吸器内科 教授 福永 興壱 先生-03

紆余曲折を経て、ハーバード大学へ留学

その後、先生は清水孝雄先生、浅野浩一郎先生の推薦を受けハーバード大学へ留学します。しかし、この留学が決まるまでにも偶然の出会いがありました。東大での研究成果が認められ米国胸部疾患学会(ATS)で優秀ポスター賞に選ばれ、会場に1週間先生のポスターが掲載されることが決まりました。そこで浅野先生の発案で、そのポスターの横に“Hire Me!”と書かれた履歴書の束を置き連絡を待つことにしたのです。その結果、いくつかの研究室からコンタクトがあり、次の米国学会出席時に面接を受けに行くことになりました。ところがその学会中に浅野先生と2人で歩いていたところ、偶然浅野先生のハーバード留学時代の恩師であったJeffrey M. Drazen先生と遭遇します。そのときにDrazen先生が浅野先生に“隣にいる若者は留学する予定はあるのか?”と声をかけてくれたのです。そこからとんとん拍子で話が進み、ハーバード大学で新たに研究室を立ち上げたばかりで、新進気鋭の脂質メディエーターの研究者であったBruce D. Levy先生(現:同大呼吸器内科教授)の最初のポスドクとして留学が決まったのです。

あきらめずに粘り強く、そして多くの経験を積んだ留学生活

渡米直後はまったく英語がわからず苦労しますが、研究室のメンバーとの積極的な交流により1年を待たずして日常会話程度の英語は話せるようになりました。さらに現在も共同研究者として一緒に仕事を進めている有田誠先生(現:慶應義塾大学薬学部教授兼理化学研究所チームリーダー)に出会い、公私ともに親睦を深めます。そして最初に与えられたテーマは好中球活性化の調節にかかわる酵素の特定という、それまでまったく経験のない基礎的な研究で新たな実験手法などを用いなければならず、大きな壁にぶつかり挫折しそうになりますが、有田先生にも助言をいただきながら少しずつ前進していきます。また、Levy先生の研究室のテーマは脂質メディエーターによる生体調整機構の解明であり、生体内の炎症・抗炎症のバランスを整えることで病態改善につなげることに主眼を置いたものでした。先生は「呼吸器疾患」にかかわる研究も行いたいという思いからLevy先生に新たなテーマとして急性肺損傷における脂質メディエーターバランスについて検討したいと申し出ます。何とか了承にこぎ着けますが、2つの研究テーマに同時に取り組むことになり、夜中まで実験を続けるハードワークの日々となります。その後研究は順調に進み、晴れて論文にまとめあげます(J. Immunol. 2005)。また、帰国を目前に控えたころには酵素の同定にも成功しました(J. Biol. Chem. 2006)。「留学先に推薦していただいた浅野先生、清水先生へ恩義を返したい、そして一人の日本人として負けたくない、という2つの強い気持ちで毎日過ごしていたので、帰国したときには肩の荷が下りた思いでした」と福永先生は話します。

より臨床に根ざした研究を

帰国後は、それまで取り組んできた研究を少しでも臨床につなげていけるように検討を重ねていきます。福永先生は今後自らの教室員にも“臨床の疑問を解決するための研究”を進めていってもらいたいと考えています。「自ら進んで一人でも多くの患者さんを診て、そこで感じた疑問を研究につなぐ」、これが福永先生のモットーです。「例えば近年、喘息や肺がん治療が進歩したとはいえ、治療に難渋する、あるいは亡くなる患者さんはまだ多くいらっしゃいます。目の前で苦しむ患者さんや亡くなった患者さんを診て自身の不甲斐なさや悔しさを研究の推進力にしてもらいたい。また現行の治療法・ガイドラインで解決できない臨床的課題を乗り越えるためにも、研究の機会を与えられた臨床医には研究を続けて欲しいと思っています。そして、臨床と研究の世界を自在に行き来できる人材を育てていきたいです」。

【ココがポイント】

「地元のかかりつけ医」になることを夢見ながら、多くの人たちとの出会いを経て大学教授となった福永先生。自分に与えられた目の前の選択肢を一つひとつこなしながら、あらゆる可能性にチャレンジし続けた結果だといえるでしょう。先生は教室の若い先生たちにも、さまざまな経験を積む機会を与え、最後は自身が納得のいく選択肢を選ばせてあげたいと考えています。そして、「研究とはWet biology(生物実験系)だけではありません」と先生。そういえば、日本初となる医師処方によるスマートフォン治療アプリ(CureApp禁煙:ニコチン依存症治療)を開発したのは、教室の同期で禁煙指導を熱心にされてきた先生と慶應医学部卒業生が創設したベンチャー企業(CureApp)であり(福永先生は治験に協力)、これも研究の1つの形なのです。福永先生の教室で、一人でも多くの患者さんを診た先生たちはどのような研究テーマを見つけていくのでしょう。今後の活躍に注目です。

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