高齢化社会で求められる診療の視点-高齢糖尿病患者の診療・研究から

サイトへ公開: 2017年04月25日 (火)
高齢者診療のフロントランナーに至るまでの歩みや、今後の高齢者医療のあり方などについて、東京都健康長寿医療センター 内科統括部長の荒木厚先生にお伺いしています。
東京都健康長寿医療センター 内科統括部長 荒木 厚先生

東京都健康長寿医療センター 内科統括部長 荒木 厚先生

1983年京大医学部卒。89年東京都老人医療センター内分泌科。96年英国ロンドン大、96年米国ケースウエスタンリザーブ大に留学。2006年東京都老人医療センター内分泌内科部長、09年東京都健康長寿医療センター糖尿病・代謝・内分泌内科部長に呼称変更、12年より現職。

現在、日本では高齢化の進行とともに慢性疾患患者が増加しています。特に、糖尿病では2014年の厚生労働省の調査において患者数過去最多を記録しており、高齢者医療が今後どうあるべきか、様々な議論がなされています。今回のインタビューでは、高齢者を専門に、長年糖尿病患者に向き合ってきた東京都健康長寿医療センター内科統括部長の荒木先生にご登場いただき、診療の傍ら、高齢患者さんの生活環境や心理に関する研究から得られた気づきや高齢者医療の今後についてお話しいただきました。

高齢者診療のフロントランナーとして

荒木先生は、研修医時代から老年科に入局し、その後は高齢者の糖尿病を専門に診療を行う傍ら、現在まで、高齢者の心身機能、生活環境に関する調査研究を継続してきました。その長年の臨床や研究成果より、日本の高齢者医療を牽引する医師の一人とされています。

従来は、サルコペニアやロコモティブシンドロームなど、高齢者の身体機能的な脆弱性に主眼を置いた研究や診療が主であったのに対して、荒木先生は、“高齢者の心理的脆弱性”にフォーカスを当てた研究成果を国内の各学会で広めることに注力してきました。その結果、2014年、荒木先生も所属する日本老年医学会より、運動機能や認知機能、心理的状態、社会的環境など、高齢者の虚弱をより多面的に評価するための”フレイル(Frailty)”※1という概念が提唱されました。これにより、高齢者医療は、「心身の機能を定量的に評価し、生活環境などを包括的にサポートすることによって寝たきりや要介護状態を未然に防ぐ」という考え方に進展しつつあります。荒木先生が内科統括部長を務める東京都健康長寿医療センターでは、2015年、フレイル状態にある患者さんを早期に発見し、予防的な介入を行うことを目的として、「フレイル外来」の試験導入を開始し、2016年からは本導入となりました。荒木先生が主導するフレイル外来では、従来の運動機能、認知機能の評価だけでなく、荒木先生がこれまで研究を継続してきた高齢者の心理的な問題や孤立などからくる社会的なフレイルをサポートするため、臨床心理士を起用し、患者さんの心のケアにも細やかに対応できる体制を作っています。

診療から得た、高齢患者さんの“心”の重要性への気づき

荒木先生は研修医時代、老年科で高齢の糖尿病患者さんの診療に取り組む中、ほとんどの患者さんに対して同じように診察し、血糖コントロールなどの治療を施しているのに、前向きに治療や生活改善に取り組み、期待より良い予後をたどる患者さんと、日に日に無気力になってしまい、あっという間に寝たきりになってしまう患者さんがいることに疑問を感じたといいます。「血糖や血圧のコントロールだけでは糖尿病の治療は成り立たない。治療に向かってもらうためには患者さんの心理へのアプローチが必要だ。」と考えました。

1990年代初頭、人口に対する高齢者率が14%を超え、日本が「高齢化社会」から「高齢社会」となったことを背景に、国内に高齢者総合的機能評価(CGA)※2が導入されました。高齢者の診療に対する関心が高まる中、荒木先生は自身の診療経験から、国内に先駆けて高齢糖尿病患者の生活の質(QOL)や主観的幸福感(Well-being)に着目し、関連を調査しました。その結果、主観的幸福感の低下はADL低下だけでなく、糖尿病負担感や、食事療法などの生活改善の負担感の増加と関連する1)2)ことを明らかにしました。また、主観的幸福感の低下は年齢、血糖、血圧とは無関係に脳卒中という糖尿病の合併症をおこすことも見出しています3)。この調査から、荒木先生は“高齢患者さんの疾患、機能だけではなく、全体的にサポートできる診療体制の構築”への思いを一層強くしました。

“研究成果から、患者さんの心理状態の改善を目指した診療体制をつくる

東京都健康長寿医療センター 内科統括部長 荒木 厚先生-02

そこで導入した取り組みの一つが、高齢の糖尿病患者を対象として週1回、集団で行う運動教室でした。運動をすることによって身体機能を高めることや血糖コントロールを図るというねらいはもちろんですが、自身の研究から、“患者さんが集団で問題意識を共有しながら”というポイントにこだわりをもって運営してきました。現在、多くの内科で運動教室は取り入れられていますが、理学療法士が個々の患者さんに介入するという形ではなく、高齢患者さんの心のサポートにもつながるよう工夫されているのが特徴です。この運動教室の実施によって入院の減少、血糖値の改善等の結果が得られただけでなく、社会参加は高齢糖尿病患者の生活満足度4)5)と関連するということが示されました。「単に運動機能の向上だけでなく、継続的に運動教室に参加することによって同じ病気を持つ患者さん同士が仲間となって支え合い、社会参加につながっています。表情が次第に明るくなっていき、治療に前向きになれた患者さんも多く目にしています。」と荒木先生は言います。この運動教室は開始から15年継続してきましたが、患者さん同士の結びつきはさらに深くなり、40周年を迎える患者会の活動も、ますます盛んになっているとのことです。

疾患啓発への思い

荒木先生は、研究、診療の傍ら、自身の研究から得た知見を一般向けに展開した疾患予防啓発や糖尿病ケアに関するセミナーでの講演にも盛んに取り組んでいます。

長年の高齢糖尿病患者の診療や患者心理に関する研究から得た知見や、高齢者が運動・認知機能を維持しながらより良い生活を送るためのヒントとして、アントノフスキーの健康生成論における「首尾一貫感覚(Sense of Coherence: SOC)※3の重要性を、“前向きな心を維持することの大切さ”と言い換え、かみ砕いてわかりやすくお話されているとのことです。「高齢者の心と身体機能は特に密接につながっています。一人でも多くの高齢者に前向きな気持ちで生活をしてもらい、介護を必要としないで生活できるようになっていただきたいと思っての取り組みです。」と荒木先生は言います。荒木先生の疾患啓発への思いは実を結んでおり、参加者からは、「明日から前向きに運動をして、食事を改善するよう取り組んでみます!」「体力の衰えを感じて落ち込んでいましたが、病気に負けない心と体を作るためにQOLの向上を心がけようと思います!」など、先生のセミナーをきっかけとする前向きな変化を伝える感想が多数寄せられているようです。

病院だけでなく、より大きな枠から高齢者をサポートできる体制を

現在、荒木先生はフレイル外来をはじめ、病院という立場で高齢患者さんの心理・社会的なサポートを行えるような診療体制を実現することに注力していますが、今後は行政なども巻き込まなくてはならないとの問題意識を持っています。「診療の際、高齢患者さんの中には、家族のサポートの不足や、経済的な問題など、病院では解決しきれない心理的な問題を抱えながら通院される患者さんも少なくないことを実感します。このような問題を現場で捉える医師として、研究を発展させ、学会から行政へ、問題意識を共有していき、より大きな枠組みで高齢者のサポートを行うシステム作りにつなげることが私の目標です。」と荒木先生は言います。その第一歩として、さらに大規模に研究を行い、疫学的知見を追及する必要があります。荒木先生は、新しい高齢者診療の考え方である “フレイル”についても、国立長寿医療研究センター 荒井秀典先生ら日本老年医学会の先生とともに大規模なレジストリ研究を行い、本邦におけるフレイル指標を開発し、運動、栄養、社会サポートなどのフレイル対策の方法に明らかにしたいと考えているとのことです。

【ココがポイント】

荒木先生は、“診療を改善するための研究”に取り組む医師として、できるだけ多くの患者さんの診療に関わることを大切にされています。一般にキャリアを積むに伴い、マネジメントや講演などの仕事の割合が増えていき、患者さんと関わる時間が少なくなっていきがちですが、荒木先生も多忙であるにも関わらず、同科内の医師で最も長い時間、患者さんの診療にあたっています。「研究の起点も患者さんから、研究のモチベーションも“患者さんに”でした。仕事のうち、診療に重きを置くことを心がけてきたからこそ、患者さんのアドヒアランス低下などの事実だけではなく、その周りの根本的な原因となっている事柄にも気づくことができ、解決しようと研究に取り組めました。」と自身の取り組みを振り返ります。

さらに、診療のない土日にも、運動教室や患者会のイベントなどでスケジュールは埋まっています。ドクターズ・ストーリー編集局がインタビューにうかがった当日も、遠方の講演先から病院に戻られた直後で、終了後には患者さんの運動教室に急いで向かわれ、ここでも患者さんを大事にされる姿がうかがえました。

荒木先生に余暇の過ごし方やご趣味についてうかがうと、「休日は、運動教室や、全国での一般向けのセミナーで講演をしに行くことが多いので、空いた時間で読書をするぐらいで決まった趣味などはほとんど持っていません。」と答えてくださいました。自身の生活を懸けて、患者さんに寄り添い、問題解決に取り組む真摯な人柄が、高齢者の糖尿病という“完治はせず患者さん自身が一生付き合わなくてはならない疾患”に伴走する専門医として患者さんに長く信頼され続ける理由が推察されました。

東京都健康長寿医療センター 内科統括部長 荒木 厚先生-03

※1 フレイル(Frailty)
高齢者が要介護状態に陥る過程には筋力の低下、活動性の低下、認知機能の低下、精神活動の低下など健康障害を起こしやすい脆弱な状態(中段階的な段階)を経ることが多く、これらの状態を2014年、日本老年医学会は「フレイル」として提唱した。一般的に高齢者の虚弱状態を、加齢に伴って不可逆的に老い衰えた状態と理解されてきたが、このフレイル(Frailty)の概念には、適切な介入により再び健常な状態に戻るという可逆性が含まれている。
評価基準は、(1) 体重減少 (1年で4.5kg以上)、(2) 疲労感、(3) 筋力の低下、(4) 歩行スピードが遅い、(5) 身体活動が低い。このうち3つ以上の項目があてはまると、フレイルと診断される。
※2 高齢者総合的機能評価(CGA)
CGA(Comprehensive geriatric assessment)とは、高齢者総合機能評価のことである。高齢者の状態について、医学的評価だけでなく、生活機能、精神機能、社会・環境の3つの面から総合的にとらえて問題を整理し、評価を行うことで、QOL(Quality Of Life)を高めようとする方法。高齢者は複数の疾患を併発していたり、ADL(日常生活動作)が低下していたりすることが多いため、疾患以外の状況も把握したうえで適切な医療・介護を行うためにCGAが行われる。
※3 首尾一貫感覚(Sense of Coherence:SOC)
イスラエルの医療社会学者アントノフスキーによる、深刻なストレスを経験し、かつ良い健康状態を保っている人たちへのインタビューから提唱した健康生成論(salutogenesis)の主要概念の一つ。ストレス対処能力とも言い換えられる。

  • 把握可能感(comprehensibility):自分の置かれている状況を予測可能なものとして理解することのできる能力
  • 処理可能感(manageability):困難な状況を何とかやってのけられると感じられる能力
  • 有意味感(meaningfulness):日々の出来事や直面したことに意味を見いだせる能力

の3つの下位概念からなり、これらの能力の高いものは、危機的な状況や大きなストレスに直面しても、健康を維持しながら前向きに生き抜くことが可能であるとされている。

参考資料
1) 老年糖尿病患者の糖尿病負担感の規定要因
荒木 厚、出雲 祐二、井上 潤一郎、高橋 龍太郎、高梨 薫、手島 睦久、矢富 直美、冷水 豊、井藤 英喜
日本老年医学会雑誌. 1995, 32, 12: 797-803.
2) 老年糖尿病患者の食事療法の負担感について
荒木 厚、出雲 祐二、井上 潤一郎、服部 明徳、中村 哲郎、高橋 龍太郎、高梨 薫、手島 陸久、矢富 直美、冷水 豊、井藤 英喜
日本老年医学会雑誌. 1995, 32, 12: 804-809.
3) Araki A, Murotani Y, Kamimiya F, Ito H. Low well-being is an independent predictor for stroke in elderly patients with diabetes mellitus. J Am Geriatr Soc 52: 205-210, 2004.
4) 高齢糖尿病患者の身近な社会参加は生活満足度と関連する
高橋 光子、荒木 厚、渡辺 修一郎、芳賀 博、金原 嘉之、田村 嘉章、千葉 優子、森 聖二郎、井藤 英喜、柴田 博
日本老年医学会雑誌. 2010, 47(2): 140-146.
5) 高齢糖尿病患者の運動教室とグループ検討の代謝面、心理面に及ぼす効果の検討--無作為化比較試験
大竹登志子、荒木厚、青柳幸利
東京都老年学会誌. 2004, 11: 178-179.;

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