都会の中の「医療過疎」を解決するためのアプローチ

サイトへ公開: 2018年10月24日 (水)
都会でありながら大学病院や公立病院のない「医療過疎」。これまでの歩みや「医療過疎」解決に向けた取り組みについて、博慈会記念総合病院・院長の岡田憲明先生にお伺いしています。
博慈会記念総合病院・院長 岡田 憲明 先生

博慈会記念総合病院・院長 岡田 憲明 先生

1985年日本医科大学卒業、1997年博慈会記念総合病院消化器糖尿病内科部長、2010年より現職。
日本医科大学客員教授、日本内科学会認定総合内科専門医、日本内科学会認定内科指導医、日本消化器病学会指導医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本内分泌学会専門医

「この地域は医療過疎なんです」と、博慈会記念総合病院・院長の岡田憲明先生は言います。東京23区内であるにも関わらず医療過疎とはどういうことなのでしょうか。病院の地域との関わりなどを中心に岡田先生にお話しを伺いました。

都会の中の医療過疎とは

博慈会記念総合病院がある足立区の人口は69万人、日本でもっとも少ない鳥取県(人口56万人・2018年)よりも人口は多く、けっして人口が少ないわけではありません。しかし、東京の北東部に位置する足立区は、診療所は多いものの大学病院も公立病院もない、医療面からみたら「過疎」の地域であると博慈会記念総合病院の岡田憲明院長は言います。
「足立区は交通の便がよくありません。南北に鉄道路線は走っていても東西を結ぶ路線がないのです。私たちの博慈会記念総合病院は足立区の西側、川口市に隣接した地域に立地しており、区の西側あるいは川口市の患者さんが多く来院するのですが、近くに鉄道の駅はなく、先端医療を受けようとする方は、文京区にある駒込病院や当院の特定関連病院である日本医科大学病院、荒川区の東京女子医科大学東医療センターなどに足を運ぶ方が多くいます。足立区在住の方は最先端の医療を受けるためには、他の区に行かなければならないのです」
東京の北東部に位置する足立区に、先端医療を担う大学病院も公立病院もないためです。
そのような中で私立病院である博慈会記念総合病院はどのような立場をとるのでしょうか。
“地域医療に徹する”、“救急医療体制を確保する”、“患者本位の高度先進医療を提供する”、これらが同病院が掲げるスローガンです。岡田先生は足立区内で医療を完結できることを目指しています。実際、同病院には22の診療科があり、病床数は区内でもっとも多い306床(平成27年度病床機能報告)で、これを岡田先生は「規模を小さくした大学病院のような形」と表現しています。さらに、隣接する系列の長寿リハビリセンター病院には回復期リハビリ病床35床、療養病床156床があることから、急性期から慢性期までの一貫した医療を提供することができるようになっています。専門性も重視しており、10学会以上の専門医の修練施設として認定されています。

岡田 憲明先生

「この病院に来られる方は近隣の高齢者の方が多いですね。都心の大学病院で治療を受けていらした方が、高齢になるにしたがい都心まで通院することが難しくなり、近所にあるこの病院に、徒歩や自転車あるいは家族の方の車で来られるようになります。そのような患者さんのニーズにできるかぎり寄り添い、地域のみなさんに一通りの治療を提供できるようにすることが“地域医療に徹する”ことであると考えています」
また、いずれの病院にも経営面の問題はついて回ります。とくに近年は病院経営が難しくなっているといわれ、大学病院や公立病院では赤字となっている施設も少なくありません。さらに、人材の確保にも苦労が伴います。そのような中で、博慈会記念総合病院ではどのようにしているのでしょうか。
「人材の確保、育成はとても難しいですね。私たちの病院の系列には看護学校がありますので、毎年新人の看護師さんがきてくれます。もちろん若い方が多いので、数年もすると新たな可能性を求めて辞めていく人もいます。そのような中でも人を育て、病院の力となっていただける優秀な人を確保するために、二人いる副看護部長の一人は教育に専念しています

スポーツでの地域貢献

博慈会記念総合病院の母体である一般財団法人博慈会ではアスリートのサポートにも力を入れています。
博慈会記念総合病院に併設された"Athlete Lab"には、トライアスロンとスピードスケートの日本代表、元日本代表が所属していて、選手自身のトレーニングはもちろんのこと、地域住民の健康増進にもこのAthlete Labが使われています。
2018年の平昌冬季オリンピックには、スピードスケート男子の日本代表選手として、同病院職員の加藤条治選手が出場しました。足立区内の病院職員がオリンピックに出場するということで、足立区としても応援するということになり、「区としては初めてのパブリックビューイングが行われ、私も応援にいきました」と岡田先生。近藤やよい足立区長も参加して、区役所本庁舎で応援、同選手は6位入賞の結果を収めました。

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博慈会記念総合病院
http://www.hakujikai.or.jp/
博慈会Athlete Lab
http://www.team-hakujikai.com/

「このような活動を通じてスポーツの啓発を行うことにより、健康増進の広報活動もより効果的になると思います」
Athlete Labに所属しているトライアスロン選手は、2020年東京オリンピックへの出場の可能性が高く、区も期待を寄せているといいます。

医師家族として育った

岡田先生の生まれ故郷は香川県綾歌(あやうた)郡。高松市の南西、香川県の真ん中に位置しています。
「父は香川県の屋島で勤務医をしていましたが、その後実家のある綾歌郡で開業しました。ぼくはその後に生まれました」
開業した医院は有床だったため、岡田「少年」は病室をみたり、診察室をのぞいたり。そんな子ども時代を過ごしたためか、自然と医学の道に入っていったそうです。
「環境の影響は大きいですよね。父の医院をみていると自然に医療に興味がわきました」
日本医科大学を卒業すると専門を選ぶことになります。当時は現在のような研修医制度はなく、「バクチ的に(笑)すぐにどこかの医局に入るという形でした。ここはいいかな、ここは無理かなと考えながら、日本医科大学では消化器と内分泌・代謝、血液を行っている旧第3内科に入局しました」

博慈会記念総合病院・院長 岡田 憲明 先生-02

これが幸いしたと先生は考えています。
当時の日本医科大学の内科は、第1内科が循環器、第2内科が神経内科と腎臓、第4内科は呼吸器でした。
「第3内科が一番守備範囲の広い、多くの患者さんを診ることができる医局だったのです」
現在のように専門性が高すぎないことも岡田先生にはよかったようです。先生自身は内分泌を専門としていましたが、第3内科にいたことで消化器疾患や血液疾患の患者さんも診ることになったからです。このことが博慈会記念総合病院に移ってから生きてくることになります。
さらに、救命救急センターやICU、CCU、内視鏡センターなども経験しました。
「日本医科大学の救命救急センターは日本有数といわれていました。そこでの9カ月間の経験は貴重なものだったと思います。さまざまな患者さんを診てきましたので、どのような患者さんがきても、怖い、治療できない、ということはないと思います」

新たな技術を独力で身につけた

岡田先生は日本医科大学には卒業後12年在籍しました。
専門は内分泌で、ラットなどを使って成長ホルモンと栄養の関係などを研究、論文も発表し、8年で学位を取得。業績をきちんと積み重ねていました。
しかし、と先生は言います。自身の性格を考えると基礎よりも臨床のほうが向いているのではないか、大学に残るのも性に合っていないのではないか。そんなときに医局の教授から博慈会記念総合病院の消化器内科部長の話がありました。
「私は消化器内科が専門ではないので、300床もある病院の消化器糖尿病内科に、部長としていけといわれても、正直不安でした」
しかし、第3内科に所属していたこと、また内視鏡センターにいたことが役に立つことになります。岡田先生は内分泌が専門ではあったものの、消化器の患者も一通り診ていたし、上部の内視鏡治療も経験していたのです。
「正直に言うと、最初はね、何年か博慈会記念総合病院にいたら独立して開業、っていう腰掛け程度の意識でいたんです。ところが、診療を始めてみたら、それはとても大変で。消化器疾患や糖尿病はとても患者さんが多いし、夜間や休日の緊急内視鏡もこなさなければならないし」
腰掛けのつもりで始めたはずでしたが、いつのまにか内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)にも興味を持ち、消化器内科の部下の先生と二人で研究し身につけていきました。
「また、胆管結石を内視鏡的に治療する手法も二人で学びました。内視鏡的乳頭バルーン拡張術や乳頭切開術などです。当時はそれほど広まっておらず、日本医科大学の本院でも行われていませんでした」
当時、日本医科大学から派遣で来ていた先生にも、ERCPや内視鏡的な胆管結石の除去術を教えていったといいます。同大学系列病院での胆管の内視鏡的治療は博慈会記念総合病院「発」ということになります。
「ここに来たのが平成9年(1997年)。それから5年間は部下の先生と2人で、その後、派遣で来た先生も加えて3人で、内視鏡をひたすら行ってきました」
そのようなこともあって、その部下であった先生の結婚に際しては、40代のはじめにして仲人を務めることに。
「一緒になってやってきましたからね。とにかく頑張ったという記憶があります」
インタビュー中「はやくゆったりしたいんだ」となんどもつぶやいていた岡田先生。そんな先生の趣味は旅行。行きたい場所はどちらですかときくと、「エジプト」と即答でした。
しかし、博慈会記念総合病院の院長として、病院経営に携わりながら、診療も週3日行っている現状ではまとまった休みがとれるはずもなく。子どもの頃から慣れ親しんできた医療の現場から離れるのは、先生の希望とは裏腹に、まだまだ先のことかもしれません。

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